top of page

All About CHIHO's Music

 

「ジャズシンガーです」と一言で自己紹介するにはちょっと大雑把になってしまいます、
私の歌う音楽達についての紹介文です。
 

ジャズソング

大正後期、アメリカの流行音楽のレコードや楽譜は客船に積み込まれ日本まで届きました。
流行の発信元は主にミュージカルや映画。モノクロ無声映画に生演奏のバンドがセットになっていた時代です。
船が到着するのにかかるわずか一ヶ月という時間差でアメリカのヒットチャートは日本に届いていました。
ジャズ、タンゴ、ハワイアン等、舶来音楽はすべて「ジャヅ」と呼ばれた当時、日本人により多くの洋楽を啓蒙すべく音楽家や評論家たちはそれらに日本語の歌詞を付け、日本の楽隊に演奏させ、日本のシンガーに歌わせて沢山のジャズレコードを吹き込みました。
それらの和製カヴァージャズにはいつしか「ジャズソング」という名前が付けられ、蓄音機の普及とラジオ放送とダンスホールでのライブ(実演)によって第二次世界大戦前の日本で大流行したのです。

 
 昭和3年。
日本で最初にレコード発売された“歌入りのジャズ”は二村定一の「私の青空」と「アラビヤの唄」でした。
その後、天野喜久代、川畑文子、榎本健一など日本の音楽界には沢山のスターが登場し、ジャズソングは日本中に拡まります。
現在の音楽界がそうであるように、トランペットやピアノやギターにもスタープレイヤー達がいました。
戦後に「東京ブギウギ」でヒットを飛ばす作曲家・服部良一も戦前はサックス奏者としてジャズソングを演奏していました。
コミカルな物から切ない恋の歌まで、アメリカの音楽も日本の音楽もハイブリッドにミックスさせた「ジャズソング」はやがて単なるカヴァーの域を超えていきます。
その中のいくつかの曲は現代に至ってもCMで使われるようなポピュラーなもの。

和と洋が混じり合ってアールヌーヴォーからアールデコへと変化した時代、街には豪華な西洋建築のビルヂングが次々と建てられ、洋装のモダンガール・モダンボーイが闊歩した東京。

あの竹久夢二や川端康成や夏目漱石たちも夜毎カフェーへ出掛けては熱狂する時代の渦に巻き込まれる為に聞いた音楽、

それがジャズソングです。
私はジャズソングのセットリストにディキシーランドジャズも混ぜています。
ニューオリンズで生まれた底抜けに明るかったり、また悲しかったり、情けなかったりするこの音楽も日本人は大好きです。
多くのディキシーナンバーにも実は日本語詞が付けられジャズソングとなりレコード吹き込みされています。
 

 

 

 

 

スタンダードジャズ

1930年代頃からの名曲達、Sentimental Journey, Misty, Tennessee Waltz,,,などなど曲名をあげたらきりがないほど、

ショウビジネスにおいてもまだまだ中心だったジャズという音楽は、NYの街角の小さなジャズクラブからブロードウェイの大きなシアターまで様々な場所で演奏され成長していきます。
世界を魅了するうちに「天才」と呼ばれるミュージシャンをも沢山産み出していくわけですが、同時に音楽自体もそのミュージシャン達にまるで刀を創るように叩かれ磨かれを繰り返し洗練に洗練が重ねられ、やがて「スタンダード」と呼ばれる膨大な名曲達が残っていくようになります。
TVや映画だけでなくホテルのラウンジやレストランで誰もが当たり前のように耳にしている音楽。「ジャズ」という言葉で多くの人がイメージするのはこの「スタンダードジャズ」のことではないでしょうか。

 同じ「ジャズ」という名前でもジャズソングとはがらりとイメージが変わります。
ジャズソングが“陽気に力強くすべてに体ごとぶつかってやがて涙も笑顔も取り込んでいく”感じとするなら
主に戦後に生まれたスタンダードジャズはある意味で“苦悩や悲しみや憂いをより隠さなくなった”感じとも言えるかもしれません。時に繊細すぎるほどかと思うと、思いきりハッピーに振り切ってみたり、ひたすら陽気だった時代のジャズをふと懐かしんでみたり。どんどん自由になっていきます。
 大人っぽい、難しそうというイメージを持たれがちなジャズですが、ことに「歌」という観点から見ると歌詞の内容はやっぱり恋や愛がほとんどです。「あの人が大好きでハッピーなの!」という歌より「あの女が忘れられない・・・(涙)」とか「こんなに好きなのに彼は振り向いてくれない・・・しょんぼり」みたいな歌詞を男も女も歌ってるのは国もジャンルも時代も越えて、一緒ですねぇ。



 


 

ポップス

ポップスという名前はいったいどれだけ広いジャンルを指すのか、、計り知れません。
ジャズもアメリカのポップスだったわけですから。日本でもポップスだった時代があったと、言っていいと思います。
 
 このページで私が歌うジャンルとしてお伝えしたいポップスは1960年代から現代までの洋楽・邦楽両方のポップミュージックのことです。パーラメントのCMボビー・コールドウェル「Heart Of Mine」、ビールのCM松田聖子「Sweet Memories」、JALのCMジャネット・ジャクソン「Rhythm Nation」。ものごころ付いた幼い頃に魅かれていったのはこれらの音楽達でした。
 オーディオマニアの父が聞くFour PlayやEnyaや「Doo Bop」のMiles Davisにも最終的に影響を受けていますが、
マイケル・ジャクソン、マドンナ、オリジナル・ラブ、矢野顕子、ピチカート・ファイヴ、フリッパーズ・ギター、EPO、はっぴぃえんど、KAN、等を聴いていた10代からジャズを歌うようになる20代半ばまでの短い期間だけでもネットというツールがないながらに沢山の音楽との出合いに恵まれました。
 「聞く」のではなく「歌う」となると、いくら好きでもなかなかポップスに手を出せなかったのですが、2014年からそのあたりのおかしなブロックを取り払って自由に歌うようになりました。
聞いて頂いた方に「実はポップスも聞いてみたかった」と言っていただけたのはとても嬉しいことでした。

  私の夢の一つに熊田千穗と銀座キラ星カルテットでジャズソングとポップスを両方混ぜ込んだステージをやること、があります。



 

bottom of page